私的で詩的な・・・ 〜存男は曾祖父(ひいじい)さん、純は曽孫〜
さて、「存在の男展」に興味を持って頂くことを目的に、今回のイベントからは漏れるであろう情報を書いてみようと、こうして爺さんの話を書き始めた訳だが「他にもっとやることあるだろ!」という声が脳裏に木魂する・・・紛れもなく私自身の声だ。
存男の話に興味のある方にとって私が「存男の孫」であることは重々承知だが、私にとっては「私の爺さんが存男」ということになる。そのままの意味であり、それ以上でも無ければそれ以下でも無い。
存男はその著書「或る日記」の序で「この書の原文は、別に有名な作品でもなく、また第一ドイツ人の書いたものでもありません。驚くなかれ、かく申す私自身の親父の一人息子、即ち私自身が書いたものです。〜省略〜 どうせ読むならちゃんとしたドイツ人の書いた本当のドイツ語が読みたい。こう仰言る方も随分あるだろうと思います。」と書いているが、まあ、こんな心情です。
何故こんなことを書いたかといえば、「みなさん各々に期待する存男像」といったものがあると思うのだが、もし私がそれに応えようと、それこそ今流行りの「忖度」でもしてしまえば、それこそ架空の話をデッチ上げかねない。まあ、私の性格上これはちょっと嘘で、実際のところ私の場合なら、忖度を求められる環境に晒されると真逆のことをやりたくなるといった方が正確だろう。何にしろ、そうなってしまえば「嘘」になる。これでは実に具合が悪い。
まあ、そんな訳で、あくまでも私のブログに爺さんのことも書くというスタンスで書いて行きたいと思う。とはいえ、実際のところ、この1年は爺さんの資料に費やす時間が多くなるので話題も爺さんのことが多くなるのは事実だが・・・。
爺さんのファンの御人にとっては全く興味がないであろう私自身の話も書かせて頂くが、これはどうか一つご了承頂きたい。
私も昨日気づいたのだが、どうやらこれは私のブログらしいので・・・。
それでは存男について。
詩集なるものが発見された。
有り難いことに日付入りだったので、当時の出来事と照合し易い。
静かな家 (関口存男未発表詩集より)
静かな家に引っ越して
間もない秋の夜に
蟲が鳴く。
急に世間がひっそりとして
人も来ぬ淋しさに
妻も児も早く寝る。
電燈の
部屋一面の明るさに
坐っているが何にも出来ぬ、
眠くもならぬ。静かな家が呪われている!
小さな足を動かして
子供が夜具をぬぐ・・・
おお、人生が其処にいるのに、
おお、幸福が手近にいるのに、
家も貴様も呪われている!
静かな家に引っ越して
苦しい真夜中に
蟲が鳴く。
(一九一八、 十月二日)
1918年の10月といえば、存男が演出する予定だった踏路社第6回公演「死の舞踏」が中止になった頃だろう。日記には9月13日に千駄ヶ谷に引っ越したとあるから、新しい家=静かな家での幼い娘・充子(当時1歳半)を抱えた若き日の存男・為子夫妻・・・彼ら親子3人の暮らしを覗き見ている様な気持ちにさせる。青春の苦悩とでもいった趣の詩だが、或る意味、祖母にとっては生涯を通して1番幸せな時期だったのかも知れない。
祖母は当時としては珍しくバタ臭い(西洋風な)顔立ちで、髪も天然パーマだったこともあり、近所の人たちから「関口さん家にはよく外人さんが出入りしているけど、充子ちゃんのお父さんは本当に存男さんよねえ?」と噂されていたらしい(笑)