誰のための勉強? 〜座員と私、存男の場合〜
楽劇座「ルーシー・フラワーズは風に乗り、まだ見ぬ世界の扉を開けた」連続上演最終章。明日が公演初日だというのに、この一週間、座員の五條なつき・齋藤蓉子・大西佐依の3人には、爺さんの資料整理(もはや探索)を結構な感じで手伝ってもらっている。こんな風に書くと、机の上でお上品に古い書類の整理をしている姿を思い描くかも知れないが、実際のところは狭い倉庫に這いつくばっての肉体労働系の作業・・・ちょっとのつもりが・・・だから衣装を着たまま!・・・ちなみに本日、初日前日にも関わらず、台詞の大量追加&7〜8割の演出変更。
勝手なこと言う様ですが、上手いことやってくれると信じております! はい。
それにしても、稽古を数日潰すなど随分と迷惑をかけてしまった。この場を借りて、彼女たちに感謝の意を表したい。
しかし彼女らは、五條、齋藤が演劇科出身、大西は関西学院大学の独文科出身という訳で、手伝ってもらうには実に好都合な人材でもあるのだ。
やはり勉強はしておくものだ。演劇もちろん、大学で学んだドイツ語の知識が別の文脈で活かされるとは。まあ、こんな風に書くと「それなりの学校に行った人はやはり優秀」などと言っている様に思われてしまいかねないが、そう単純な話でもない。
学校と勉強はまた別物なのだ。
私自身、幼稚園から大学院まで、学校と名の付くものとはあまり相性が良くない・・・まあまあ優秀だったと自負しているのだが。
だから、学校にさえ行けば素晴らしい人間になれるとは口が裂けても言えないし、言う資格もない。も(う)一つ重ねて、言う気もない!
さて、両親に「(兄弟で)一番クズが残った!」と言わしめた爺さん(存男)はどうだったかと言うと、立派な軍人になることを期待されていたにも関わらずあっさり辞めてしまう。外務省に入っても「末は外交官か?」という両親の期待に応えることなく「私は文学者だ!こんなくだらん奴ら云々・・・」と辞めてしまう。大学で教え出せば出すで・・・二度あることは三度ある!・・・「末は博士か?」という、その哀れな両親の最後に残された僅かな望みは見事崩れ去るのであった。
爺さん曰く「くだらん奴ら(わからん奴らに)に評価してもらう為の論文を書くなんて、そんなことに時間を使うぐらいなら、もっと他にやることがある!」と言ったとか。
まあ、私の場合も学生生活の中で学んだことと言えば、まさにその様なことだったかと・・・。
だからこそ、爺さんは教育に熱心だったとも言える。
そこは私も見習いたいところだ。